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【書評】友情とは何か?『走れメロス』で太宰が何を伝えたかったのか真剣に考えてみた

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JKエドモント_アップ

JK・エドモント

幼少時代に、とある儀式を遊び半分で実行、その日から精神の半分を“闇の住人”に支配されてしまう。強度の近視だが、レンズ越しの世界は“整い過ぎている”という理由から、普段は裸眼で過ごしている。

はじめに!太宰治ってどんな作家?

1948年の太宰治

太宰治という作家について語るとき、まず浮かんでくるのはその天才性と、どこか壊れたような感性です。

彼の作品を読むたびに、普通の作家では描ききれない内面的な苦悩や、人生の虚無感に対する鋭い洞察が感じられます。

彼が紡ぎ出す言葉の一つ一つには、日常に潜む不安や、現実逃避への欲望がにじみ出ていて、読者をその深い迷宮に引きずり込むのです。

でも、ただの「暗い作家」というラベルを貼るのは、あまりに簡単すぎる気がします。

だって、太宰は単に暗いだけじゃないからです。

彼の作品には、どこか希望の光が差し込む瞬間があるんです。

絶望の淵に立たされても、その奥底で「まだ何かがあるかもしれない」って思わせる強さが、作品の中でほんのりと感じられることもあるんです。

「人間失格」とか、「斜陽」とか、みんな暗い話だって言うけど、あの深い闇の中には、微かに光る一筋の希望が潜んでいる…。

闇が深ければ、深いほど、その一縷いちるの光は儚くも尊く、力強い希望にも変わるのです!

太宰 治

天才作家!でもちょっと波乱万丈な人生?

太宰治の人生って、まさに波乱万丈そのものなんです。

青森の裕福な家庭に生まれたにもかかわらず、彼はその特権にしがみつくことを拒み、自己破滅的な道を選びました。

文学という道にのめり込み、多くの名作を世に送り出した一方で、幾度も自殺未遂を繰り返し、最終的には三鷹で玉川上水に身を投じてしまいました。

それが彼の「終焉」として語られることが多いですが、実は彼の心の中では何度も終わりと始まりを繰り返していたように感じます。

まるで、自分の存在そのものが無価値だと感じながら、それでも表現し続けることを止められなかったかのように。

私も時々、どうしようもない虚無感に襲われることがありますが、太宰の作品を読むと、自分のそんな気持ちがちょっと肯定されるような気がして安心するんです。

「あ、私だけじゃないんだ」って。

ただ、彼の人生には常に影が付きまとっていたのも事実です。

人間関係のもつれや、家族との断絶、アルコール依存や薬物の乱用…。

彼の生き方は決して「模範的」ではありませんでした。

けど、太宰って、そういうの全部引き受けながらも書き続けたから、今でも多くの人に読まれ続けてるんだと思います。

普通なら潰れちゃいそうな状況でも、彼はそれを創作に変えて、あらがって、

そこが、すごく人間臭くて、どうしようもなく私を惹きつけて止みません。

「走れメロス」ってどんな話?ざっくりあらすじ!

走れメロスの諦めずに走る姿

「走れメロス」は、友情と信頼をテーマにした、太宰治の代表作です。物語は、シンプルだけど、心に響く深いメッセージが込められているんです。

メロスという主人公は、正義感が強くて、友達思いなお兄ちゃんです。

ある日、メロスは暴君ディオニスの圧政に怒りを感じて、その不正を糾弾しようとするのですが、いきなり逮捕されちゃうんですよね。

ディオニス王人間なんてみんな裏切るものだ!と言い放ち、メロス処刑しようとします。

ここでメロスは、自分にはどうしても果たしたい約束があるから、3日間だけ自由にしてくれってお願いするんです。

その約束って、妹の結婚式に出席することなんだけど、「えっ、そんな理由で!?」って普通は思うけど、メロスの覚悟は本物!

で、王様(ディオニス)は「どうせ帰ってこないだろう」って思って、親友のセリヌンティウスを人質に取るんです。

ここで友情のテーマがぐっと際立ちます!メロスを信じて待ち続ける親友のセリヌンティウス視点があるからこそ、この物語の深みが増すんです!…セリヌンティウスは尊いよ!

一方、メロスは「絶対に戻ってくる!」と誓って妹の結婚式に向かうんだけど、その道中でいろんなトラブルに巻き込まれます。

川に流されたり、山賊に襲われたり、天気が急に荒れたりと、めちゃくちゃ大変なことばっかりで…。

メロスもさすがに、「もうダメかも…」って何度も心が折れそうになるけど、それでも走り続けて、葛藤し続けます…。

メロスが怒った!?友情と信頼の物語

メロスが怒った理由って、ただの個人的な感情じゃなくて、人間としての誇りや友情に対する信念なんです。

それが彼の行動の原動力になっているのが、この物語の肝だと思います。

メロスは、友情に対して絶対的な信頼を持っていて、友達を裏切るなんて絶対にあり得ない!っていう強い意思が彼を突き動かしているんです。

だけど、旅の途中でメロスが直面する試練は、ほんとに過酷で、読んでいるこっちまで心が折れそうになる瞬間が何度もあります。

大自然の猛威、予想外の障害、そして自分自身の限界…。メロスも、心の中で「もう無理かも」って何度も弱音を吐きそうになります。

でも、その度に親友を裏切れない!という思いが彼を立ち直らせるんです!メロスにとって、友情はただの言葉じゃなく、命をかけても守りたいものなんだと感じます。

でも、ここで気になるのは、果たしてメロスは本当に約束を守れるのか?どれだけ辛い目に遭っても、最後まで信念を貫けるのか…。

メロスがどんな決断をするのか、そしてその結末がどうなるのかは、物語の後半で明らかになるんですが、その過程で友情って何だろう?っていう根本的な問いを私たちに投げかけてくるんです。

一つ一つ考察していきますね…。

メロスの友情はガチ?それとも理想?

「走れメロス」の一番のテーマは、やっぱり友情ですよね。

でも、読んでて正直思いませんか?こんなにガチな友情って現実にあり得るの?って。

だって、メロスが友達のために命を懸けて走る姿、普通じゃ考えられないくらい強烈です。

これが太宰治が描く理想の友情なのか、それとも本当にこんな友達がいるのか、ちょっと疑問に感じちゃいますよね…。

え、こんな友達いる?超絶友情パワー全開!

「走れメロス」を読んでいて、真っ先に思うのは、セリヌンティウスの存在があまりにも特別だということです。

彼は、メロスの友達として、人質という過酷な状況をあっさりと受け入れてしまう。

普通なら、人質になるなんて、どれだけ親友でも抵抗感や恐怖があるはず。

だって、自分の命がかかっているんですよ?

裏切られるかもしれないし、メロスが戻ってこないかもしれない…そういう疑念が頭をよぎるのが普通だと思います。

でも、セリヌンティウスはそんな不安を微塵も感じさせないんです。

メロスなら必ず戻ってくる!と、迷いなく信じて待ち続ける彼の姿勢に、私は本当に感銘を受けます。

彼の信頼の深さって、現実ではなかなか見られないものだし、自分自身にそんな確固たる信念を持てるかと言えば…無理かもしれない…。だからこそ、メロスを信じて疑わない、その純粋さや揺るがぬ心が、とても美しくて尊いんです。

セリヌンティウスのような友達が存在すること自体、ある意味で奇跡のように感じます。だって、誰かを完全に信じるって、どうしても心のどこかに不安や疑念が生まれるものですよね。でも彼は違う。

こんな純粋で揺るぎない友情、現実では理想にしか思えないけど、だからこそ、この物語は特別な力を持っているんだと思います。

メロスは確かに友達のために走り続けているけど、セリヌンティウスのほうが、実はもっと深いところで友情の力を見せているんじゃないか…そんな風に考えると、ますますこの物語の奥深さが際立ってきます。

メインキャラ3人を大紹介!

「走れメロス」を語る上で、メロスとセリヌンティウス、この二人は切っても切り離せない存在です。

物語の核心には彼らの友情があって、それぞれが全く違う性格だからこそ、この友情がより際立って見えるんです。

そして、暴君ディオニス…。悲しいかな、私は暴君ディオニスの考えの方が現実的に感じてしまいます…。

主人公メロスはこんな人!

まず、メロス。彼はまさに超熱血ヒーロータイプです。

彼の最大の特徴は、行動力と情熱。それも、ちょっと常識外れなくらいにまっすぐで、一度こうと決めたら絶対に曲げないんです。

ディオニス王がどんなに冷酷な支配者だろうと、そんなの関係ないって感じで、自分の正義感を信じて突き進んでいく。その姿勢が本当に眩しいくらいです。

普通、こんなにも自分の信念に従って行動できる人って、なかなかいないと思うんですけど、メロスはその全てを持っている。

そして、その熱さが彼のヒーローらしさなんだなって感じます。正義のために命を懸ける姿勢は、理屈じゃなく心に訴えかけてきますよね。

でも、時々その熱血さが、ちょっと無茶じゃない?って思う瞬間もあります。だって、妹の結婚式に行かなきゃいけないって理由で、処刑されるかもしれない状況から一旦自由になるって…常識的に考えたら無理筋なお願いじゃないですか?

でもまぁ、メロスが強い意志と信念の持ち主だからこそ、ディオニス王の邪心により一層、火をつけて、このまま処刑してしまうより、メロスのこの強い意志信念本物なのか試してみたくなったのかもしれませんね。

親友セリヌンティウスはこんな人!

次にセリヌンティウス。

この人は、本当に友達思いで、しかもそれを当たり前のように実行するところがすごいんです。

メロスの頼みを受け入れて、人質になるという選択、普通なら絶対に躊躇しますよね?

だって、自分の命がかかっているんですよ?

それでも、セリヌンティウスはメロスなら信じられる!と、何の迷いもなくその役割を引き受けます。

私が思うに、セリヌンティウスこそが究極的な理想主義者で、ある意味、メロスよりも頑固者なんだと思うんです。

メロスとの友情は、自分の命を賭けるに値する価値があると思っているんです!

だから、実はセリヌンティウスはただの善い人でも、お人好しなんかでもなく、すごく崇高理想を持っている信念のある人だと思います。

暴君ディオニスはこんな人!

さて、忘れちゃいけないのがこの物語のもう一人の重要人物、暴君ディオニス。

彼の存在がなければ、メロスの冒険も友情も生まれなかったかもしれません。

ディオニスは、この物語の悪役という立ち位置なんですが、彼の描かれ方も実は結構興味深いんです。

ディオニスは、いわゆる人を信じない冷酷な支配者です。

彼が支配している国では、人々は彼の恐怖政治に従って、自由に意見を言うことさえできません。

彼の一番の問題は、人間なんて、どうせ裏切るものだ!と心底信じ込んでいるところ。

だから、友情なんて綺麗ごとにしか見えないし、誰かを信じることなんて無駄だと思ってるんですよね。そこがメロスやセリヌンティウスと完全に対照的で、物語全体の対立軸を形作っているんです。

でも、ディオニスがただの悪役として描かれているかと言えば、実はそうでもないんです。

彼もまた、自分の信じる現実を生きているだけで、過去に人に裏切られたことがあって、そんな風に人を信じられなくなってしまったのかもしれません。

私なんかは、ディオニスの考えの方が現実味があって、日常に溢れているように感じます。

だから、彼の冷酷さの奥にある、人を信じることのできない辛さに、はどうしようもないくらい共感してしまうんです。

走るメロス!だけど…途中でピンチ連発!?

物語のクライマックスとも言える部分、メロスが妹の結婚式を終えた後、約束通りディオニス王の元に戻るために走り出します。

でも、もちろんただまっすぐ帰れるわけもなく、途中で次々とピンチに襲われるんです。

ここからがメロスの本当の試練。命を懸けた走りがどれだけ過酷なものだったか、読むたびに胸が苦しくなります。

体力ヤバイのに走り続ける理由って?

メロスが全力で走り続ける理由、それはやっぱり親友は裏切れない!という強い信念です。

現実的に考えると、いくつもピンチに見舞われたら普通は心が折れるし、体力だって限界がきますよね。だって、メロスが直面したのは自然の猛威だけじゃなく、川に流されるわ、山賊に襲われるわ、天候が急変するわで、もう無理ゲーじゃん?って思っちゃうくらい過酷なんです。

それに加えてディオニス王が言った、はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。という甘言も頭をよぎります…。

わざと遅れて到着すれば、自分の命と、最低限逃げはしなかったという体裁は保てる…。

それでもメロスは止まらない。普通だったら、「もうここで諦めても仕方ない」って思うタイミングが何度もあったのに、彼は走り続けます。

なぜか?その答えは、彼の心の中にあるセリヌンティウスを裏切れない!という絶対的な信念なんですよね。「親友が自分を信じて待っている!」その信頼を絶対に無下にはできないという強い意志が、彼の体を動かし続けているんです。

私も時々思うんですけど、信念って、ただの言葉じゃなくて、行動を突き動かす原動力になるんですよね。メロスが走り続ける理由は、単に約束を守るためだけじゃなく、自分の中にある友情という価値観そのものを守りたいという想いから来ているんだと思います。

だから、どれだけ体力的に厳しくても、ピンチが連続しても、その思いが彼を突き動かしているんです。

でも、現実の私たちだったら、到着したら処刑される状況で、こんなに全力で誰かのために走れるかって考えると、ちょっと自信ないですよね。メロスの走りは、ただの体力勝負じゃなくて、心の強さが試されているんだなって思います。

ラストに感動!友情の証は…涙腺崩壊ポイント?

「走れメロス」の物語は、途中で何度も絶望に打ちひしがれるような展開があるけれど、やっぱりラストのシーンが一番心に響くんです。

友情と信頼の物語が最高潮に達する瞬間、それはメロスがセリヌンティウスとの約束を果たすべく、最後の力を振り絞るところ。

ここまでの道のりが険しすぎて、ラストのその一瞬のためにどれだけ努力してきたかを知っているからこそ、胸が熱くなるんですよね。

読み終わったら絶対泣いちゃう!

「走れメロス」のラストで、一番心を揺さぶられるのは、メロスとセリヌンティウスが再会した後のあのシーンです。

メロスが涙を浮かべながら、私を殴れ!と言って、セリヌンティウスがそれを受け入れる場面。この二人のやり取りは、友情や信念だけでは語れない、人間の弱さと強さが共存している瞬間なんですよね。

メロスは、どれだけ熱血ヒーローでも、一度は悪い夢を見てしまうんです。つまり、自分の命が惜しくなってしまった瞬間があったんですよね。

その葛藤があったからこそ、彼は自分の弱さをセリヌンティウスに打ち明け、罰として殴ってもらおうとする。こんなにも強い信念を持っているメロスでさえ、揺らいでしまった瞬間があったなんて…人間臭くて、とてもリアルです。

一方のセリヌンティウスも、ただの理想的な親友じゃないんです。彼も「もしかしたらメロスは帰ってこないかもしれない」と、一度だけ疑ってしまった。

完璧に見える彼も、やっぱり人間だから、極限状態で心が揺らぐんですよね。そして、その疑念を隠すことなくメロスに打ち明け、私のことも殴ってくれ!と頼む。

ここがこの物語理想現実が溶け合った最高の瞬間なんです。

二人は、完璧な存在ではない。強い信念を持った二人ですら弱さや揺らぎを持っていて、それでもそれを乗り越えて最後に再び信頼し合う

そんな二人の姿に、私たちは胸を打たれずにはいられないんです。リアルな人間の弱さと、友情という理想がぶつかり合い、最高潮の感動が押し寄せてくるんです。

この場面を読むと、やっぱり涙が止まらない…。

友情って、ただ「信じる」だけじゃなくて、時には疑い、でもその疑念を乗り越えてこそ本当の絆が生まれるんだなって感じさせられるんですよね。

太宰治のメッセージ!「走れメロス」で何を伝えたかったの?

「走れメロス」は、一見すると友情を描いたシンプルな物語のように感じます。

けど、太宰治がこの作品で本当に伝えたかったのは、それだけじゃないんです。

この物語には、友情や信頼を超えた、もっと深いテーマが隠されているように思えてなりません。

実は友情だけじゃない深いテーマが…?

確かに、友情と信頼は物語の中心にあります。メロスとセリヌンティウスの強い絆、互いを信じ合う姿勢は、読む人すべての心に響くものです。

でも、太宰治という作家が、単純に友情は素晴らしい!というメッセージだけを伝えようとしているとは考えにくいんですだって、太宰の作品って、常にその裏側にある複雑な人間性や、闇の部分を描き出すのが特徴だから。

「走れメロス」で、二人の友情の試練の中で描かれるのは、人間の弱さ葛藤です。

メロスもセリヌンティウスも、途中で迷いや疑念を抱えてしまうんですよね。

強い信念を持ちながらも、極限状態に立たされると心が揺れ動いてしまう。

その人間臭さが、太宰の本質に迫る部分なんじゃないかなと思うんです。

人間って、完璧じゃない。

どれだけ強い意志を持っていても、時には自分自身に負けてしまうこともある。

それでも、人は信じることを選びもう一度立ち上がる力を持っている!、ということを太宰は伝えたかったんじゃないでしょうか。

さらに、この物語には「信じること」と「疑うこと」が常に表裏一体の関係として描かれています。

友情が美しいものだとされる一方で、それを脅かすのは常に「裏切り」や「疑念」です。

太宰治自身、人生の中で何度も人間不信や絶望に苦しんできた作家ですから、その経験がこの作品にも反映されている気がします。

つまり、メロスとセリヌンティウスの関係は、太宰自身人間関係で感じた信じたいけど、信じきれない」“葛藤の象徴でもあるんじゃないかと思うんです。

だからこそ、太宰が本当に伝えたかったのは、ただの友情賛歌ではなく、人間の弱さそれを乗り越える力なのかもしれません。

信じることの美しさだけじゃなく、その過程で感じる不安や疑念もまた、人間らしさの一部。

太宰はそれを、作品を通して私たちに問いかけているような気がします。

結局、「走れメロス」は友情の物語ではあるけど、その裏にはもっと複雑で深い人間の本質が描かれている。

だから、読んでいてただ感動するだけじゃなく、心の奥深くで何かが引っかかるんだと思います。

最後に一言!「走れメロス」を読んで思ったこと!

「走れメロス」を読んで一番強く感じたのは、やっぱり友情の美しさです。

でも、それはただキラキラした理想的な友情じゃなくて、弱さや葛藤も含めたリアルな人間関係の中で輝く友情なんだな、って思いました。

メロスとセリヌンティウスは、互いに信じ合い、最後には再び絆を確認し合いますが、その過程にはいくつもの不安や疑念があって、それでも信じ続けることの強さが描かれているんです。

私たちの友情もこんな感じだったらいいのになって思ったよ…

私たちの友情もこんな感じだったらいいなって思ったよ…エドモント

実は、私にも一人だけ大切な親友がいます。

彼女とは小学校の頃からずっと仲良しで、何でも話せる相手。

でも、正直に言うと、時々「本当に信じ合えているのかな?」って不安になることもあって…。

例えば、ある時、私がすごく落ち込んでいるときに、彼女に私の心の中を全て打ち明けられなかったことがありました…。

「こんなこと言ったら、嫌われるかもしれない」って、勝手に自分で思い込んでしまって、彼女に頼ることができなかったんです。

でも、「走れメロス」を読んで思ったのは、本当に信頼できる友達って、どんな不安や迷いがあっても最終的には信じることができる存在なんだな、ってことです。

メロスもセリヌンティウスも、途中でお互いに疑いを抱く瞬間があったけど、最後にはその不安を打ち明け合い、許し合って抱擁するじゃないですか。それを見て、「ああ、友情って完璧じゃなくてもいいんだ」って感じました。

その親友とは、私も時々言いたいことを言えなかったり、ちょっとしたことで誤解が生まれたりするけれど、結局はお互いを思いやって「これからも一緒にいよう」って心の底では信頼してるんだと思います。

「走れメロス」の教訓を通して、彼女との関係も完璧じゃなくても大丈夫で、不安や疑念を乗り越えてこそ、もっと深い絆が生まれるんだろうなって気づかされました。

だから、もし私たちの友情も、メロスとセリヌンティウスみたいに互いを信じ合い、何があっても支え合えるものだったら素敵だなって思います。

私も、彼女にもっと心を開いて、疑いを抱え込まずに、信じることを選びたいなって思いました。

あ、本当は私に親友なんて一人もいないんで、このエピソードは全部、妄想ですよ。てへ(ゝω・)♪

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